新しい年、2012年が始まった。
今年は、NO EXCUSEで5月の日本選手権!
日本代表で8月末からのロンドンパラリンピック!
大きな挑戦が続く。
「パラリンピックに出る!」
この言葉を何回、いや何万回、呟いただろうか。
日本代表に入り、パラリンピックに出場する!
それは、僕の大きな夢だった。
退院してもなお、骨肉腫の再発という恐怖を抱え、それでも前進するためには、
この恐怖をも吹き飛ばすような、忘れさせるような、何か「デッかいこと」が僕には必要だった。
そして、この夢は突然現れた。
自分が退院する直前、母がガンで倒れた。
その後、昏睡状態に入った時の出来事だった。
僕は母が眠るベットの横にいた。
毎日が同じような看病の日々、少し疲れ切っていた。
その時、母の顔を見ながらふっと考えた。
「もし、ここで何か頼みごとをしたら、叶えてくれるかも・・・」
ちょっと不純な動機?と戸惑いつつも、思い切って、母の手を握り、呟いてみた。
しかし!
頼みごとをするはずだったが、それはなぜか誓いになっていた。
誓ったことは2つ。
その一つが、
「僕は日本代表になってパラリンピックに出場する!」
そもそも僕はその時車椅子バスケを始めて1年目。
日本代表チームのことも、パラリンピックという舞台も全く知らない。
後になって、自分でも「なんであんなことを言ったんだろ?!」と考えるようなことを無意識に口にしていた。
特に大した根拠はなかった。
ただ、デッかいことをしたかった!やり遂げたかった!
思いもよらない、今はまだ想像もできないようなことを。
でも、もしこんなことができたら、なれたら、
今までの自分の病気の苦しみからも、辛さからも、きっと解放される!!報われる!!!
そう「思えたこと」は間違いない。
なんだか、普通の夢の描き方とは違っていた。
ドキドキするような、ワクワクするような、憧れや希望からくるものではなく。
「苦痛からの開放」
そのために、がむしゃらになるための「何か」。
そして、それがその時何よりも一番手に入れたかったこと。
もしかしたら、「夢」というには、何か違っていたのかもしれないけれど。
それを昏睡状態の母に伝えた時だった!
母の手が、僕の手を握り返してきた。
「そうしなさい」とでも言うように。
「そうか、そういうことか...」
母の手を握りながら、そう呟いた。
それが僕の「夢」の始まりであり、それから先の確かな道しるべとなった。
それから5年が経ち、日本代表に入り、2000年のシドニーパラリンピックに出場した。
「夢」は叶った。
そこまでの道のりは、語りつくせないほどたくさんの出来事があったが、
どんなことがあっても、ここまで乗り越えることができたのは、
あの誓いがあったからだ。
「パラリンピック」
特別な思い出だ。
今は、日本代表の選手ではなく、アシスタントコーチとしてロンドンに向かう。
多くの選手たちが人生をかけてこのロンドンに向けて着々と準備を進めている。
その思いを日本代表チームとしていい形にする!というのが僕の新しい使命だ。
昨年の11月の韓国予選で1点差で勝ち取ったロンドンの切符。
あの絶体絶命の局面を乗り越え、4年に1度の大イベントへの歩みを止めなかったことには、何か大きなメッセージが隠れているような気がしてならない。
新しい道の始まりだ。